フォトアトリエ臥遊
臥遊とは









「臥遊」とは紀元3世紀に宗炳が確立した山水画の基礎となる言葉です。
紀元前の中国では、山は神が宿る神聖な場所とされていました。
都市の喧噪を逃れ、一日中、山で過ごすことは神に近づく行為でした。
「臥して以って之に遊ばん」とは年老いた宗炳がかつて登った山を描いて床に臥しながらその絵を眺め、山で過ごした時と同じ境地になることでした。
自然を銀の濃淡(グラデーション)で写真を製作する私達の活動は
「臥遊」と通じることから工房の名前としました。

良く聞く話に「この写真は白黒で逃げている。カラーならもっと深みが出るはずだ」
色に捕らわれた人の目は銀や墨の深みを理解できません。
フィルム写真の銀のグラデーション(諧調)は白から黒まで
カラーのスケールをはるかに超える繊細さが魅力です。
カラーフィルム、そしてデジタルと、写真が益々現実の複写として扱われるようなって、このグラデーション(諧調)の魅力が再認識されることはいまだにありません。
しかしいつまでも色褪せないどころか、見る度に新鮮さを感じるその魅力はいったいどう説明すれば良いのでしょうか。
ある時、写真を展示会で見ていいるうちに、その場所にずっといたい気持ちになりました。
それは山に登って景色の良い場所で、そこにずっといたい気持ちに似ていました。
一つ一つの写真にそれぞれの物語があり、世界があります。
それは遥か昔、自分が生まれる前の記憶かも知れません。モノクロの世界には時間がありません。
そのことが例え古い写真であっても、見る度に過去を今として感じることができます。
写真を観ている内にその場所にいる自分を夢想し、次第にその場所で無になって溶け込んでいくような気持になります。
山水画や写真を観ることは瞑想に似ています。これこそが「臥遊」の理念です。